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Celeb ★ Life

Mariah Carey

マライア・キャリー(Mariah Carey、1970年3月27日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。実際の発音はケアリーに近いが、日本ではキャリーとの表記が定着している。もっとも米黒人英語ではキャリーと発音することも少なくはない。

1990年代を代表するシンガーソングライターで、18曲の全米No.1ヒット(Billboard Hot 100)はビートルズに次いで歴代2位で、女性アーティストとしては1位。ちなみに彼女はこれまでに全世界でシングルセールス6500万枚以上。アルバムセールス1億7000万枚以上。トータルセールス2億3000万枚以上のセールスを記録している。なお、本国アメリカでの人気は相変わらずでEW.com の読者が選ぶ過去25年間の中で最も好きな歌手で堂々の1位に選ばれている。(2008年現在)

[編集] 略歴・概要
ベネズエラ系移民の父(白人と黒人の混血)とアイルランド系アメリカ人の母(白人)の間に3人兄弟の末っ子として、ニューヨーク州ロングアイランドに生まれ人種差別に耐えながら幼少期を過ごした。音楽はブラックミュージックを基盤としている。

ハイスクール卒業後、マンハッタンへ移り、ウェイトレスなどをしながらチャンスを待っていた。その後、ブレンダ・K・スターのバックコーラスとなり、ブレンダに連れられて訪れたパーティー会場でCBSレコード(コロンビアレーベル、現:ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント)のトミー・モトーラ社長へブレンダがデモテープを渡したことがきっかけとなり、1990年に"Vision Of Love"でデビュー。このシンデレラストーリーとデビュー直前にNBAFinalで「America the Beautiful」を熱唱し話題になったことから大ブレイクした。

デビュー当時のキャッチコピーは「7オクターブの声域を持つ歌姫」(ただしこれは誇張であり、七色の声にかけてのもの実際には2オクターブ半程度だと言われている)。声域をいっぱいにまで使った曲はデビューから数年によく見られる。最も高い声を出す人としてギネス・ブックに認定されていた。アルバム『Music Box』(1993年)、『Daydream』(1995年)は全世界で各2500万枚を超える大ヒットとなった。Boyz II Menとのデュエット曲「ワン・スウィート・デイ」は1995年から1996年にかけてビルボードのHOT 100で16週連続No.1を獲得。この最長記録は2007年現在も破られていない。

1997年のアルバム『Butterfly』では、張りのあるヴォーカルよりもささやくようなコーラスやフェイクが目立つようになる。音楽的にはそれまでのアダルトコンテンポラリーから、多くのラッパーを起用したR&B、ヒップホップ系に大きくシフトした。後に彼女がバタフライをトレードマークとしているように、一時の商業的POP志向から離れ、マライア独自の芸術性・音楽性を開放していくきっかけとなった。HIP/HOPビートのサンプリングや、ラップとヴォーカルの融合によるクロスオーバーは、マライアが93年頃から試みている事であるが、現在メインストリームとなっており、彼女の先見の明を評価する声もある。またPVやステージパフォーマンスで、胸を強調したセクシーな衣装・表現が増え、これらが一部のファン離れを招く原因となった。この傾向は後の作品でますます強くなっていく。

1999年のアルバム『Rainbow』を最後にSony Musicを離れEMI傘下のVirgin Recordsに移籍。史上最高クラスの8000万ドルもの契約金が話題となった。しかし精神的・肉体的にトラブルを抱え、2001年にはテレビの生放送番組でストリップまがいのパフォーマンスをして顰蹙を買う。

同年、半自伝的な初主演映画『グリッター きらめきの向こうに』(en:Glitter (film))が公開されるが、興業的には失敗に終わる。そのサウンドトラックアルバムは発売前の評判は良かったものの映画の失敗、多すぎるゴシップや発売日(9月11日)がアメリカ同時多発テロ事件と重なったなどの不運もあり、低調なセールスに終わった。結局EMIからはこの1作だけで契約を打ち切られ、「リストラの一環」という不名誉な話題となった。しかし、契約打ち切り金として2800万ドル(30億8000万円)が支払われ、一瞬で得られた最多報酬としてギネスブックに掲載されている(日本では契約の関係上『Glitter』もソニーから発売され、東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)からは1枚もリリースされていない)。同曲のサウンドトラックからシングルカットされた「Loverboy」はビルボードのシングルセールスチャートで年間No.1を獲得している。

ほどなくしてアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループ(Island/Def Jam Music Group、ユニバーサルミュージック傘下)とレコード契約を結び、2002年にアルバム『Charmbracelet』をリリースした。同年12月にプロモーション来日している。

そして2005年、アルバム『The Emancipation Of Mimi』を発表。ファーストシングルの「イッツ・ライク・ザット」がヒットし、同年4月12日はアメリカ・ABCテレビの朝の情報番組『グッド・モーニング・アメリカ』への出演を果たした。セカンドシングル「ウィ・ビロング・トゥゲザー」が通算14週1位を獲得、サードシングル「Shake It Off」も最高2位(10月1日付)とヒット。アルバムは2005年の全米年間セールス1位、全世界で約1000万枚のヒットとなり、「The Return Of The Voice」と形容されるほどの劇的な復活を遂げた。アメリカン・ミュージック・アワード1部門、グラミー賞3部門など数多くの賞に輝いた。

11月には同アルバムに新曲やDVDを加えた『Ultra Platinum Edition』を発売した(日本では2006年1月に国内盤を発売)。ビルボード誌12月31日付で4thシングル「Don't Forget About Us」が1位(2005年、2枚のシングルを全米No.1にした唯一のアーティストとなった)となり、2006年1月7日付けで2週連続1位獲得した。

2008年4月、最新作『E=MC2』をリリース。ちなみに、E=mc2(イー・イコールズ・エム・シー・スクエアードと読む。)とは、アインシュタインが提唱した著名な定理である。正式発表前のタイトルは「That Chick」などと噂されていたが、正式発表では全く異なるタイトルであった。タイトルの意味は「E equals Mariah Carey to the second power」であり、マライアのイニシャルであるMCをもじった遊び心あるネーミング。「E」の部分は「Emancipation」「Energy」など色々な意味でとってくれていいとマライアがインタビューで話している。また、2007年10月に発売予定が、半年遅れでの発売になったり、2007年年末のカウントダウンパーティーでは、新曲の「Migrate」を初公開するなど、マライア側が、今回のアルバムを慎重に扱っていることがわかる。アルバムからの先行シングル「タッチ・マイ・ボディ」はBillboard Hot 100で1位を獲得した。これで彼女のビルボードでのシングル1位獲得は18曲目となり、エルヴィス・プレスリーを抜きビートルズの20曲に継ぐ歴代2位についた。

同時期に、アイランド・デフ・ジャムとの再契約を発表した。

さらに、『Glitter』以来、大作映画から離れていたマライアの本格的映画出演が再び始まっている。2008年のTribecca Film Festivalでは、ハル・ベリーのオスカー受賞作となった邦題「チョコレート」のプロデューサーによるプロデュース作品「Tennessee」が招待作品となっている。その作品でマライアは初めてカントリーソングを披露しており、撮影時はスタッフが涙を流したをいう逸話が入ってきている。

また、『E=MC2』からセカンドシングルとして「Bye Bye」がリリースされた。同アルバム収録の「I'll Be Lovin' U Long Time」は日本テレビ系列野球巨人戦のテーマソングになっている。


マライア・キャリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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